春のゆくえ
4月20日
二十歳の誕生日は、まずは家族と過ごした。
二十歳という節目は家族だけでなく、周囲からも特別な年だと認知されているせいか、ジーニストの計らいで誕生日当日は早番、翌日に丸一日オフが与えられた。「家族とゆっくり過ごすといい」と言われたことと、相澤にも「まずはご両親の元へ行きなさい」と言われたこともあって、爆豪は素直に実家に帰ることにした。
家では母親がたくさんの手料理と大きなホールケーキを用意して迎えてくれた。三人家族なので一回でケーキをすべて消費することはないけれど、子どもの頃からいつも決まってホールケーキが誕生日に出てきた。実家を離れて数年経つが、ずっと変わらないことだ。
もし爆豪と相澤だけならうんと小さなホールケーキかピースのケーキで十分だろう。でも一回くらいは、このくらい大きなホールケーキを用意してもいいかもしれない。その時は去年見た、ケーキ用の花火も刺してやろう。あの時のよりももっとバチバチと弾けているものを探さなければ。今度はどんな顔をするだろうか。正面でじっと見てみたいと思う。
父親はニコニコと嬉しそうに「プレゼントは勝己くんが生まれた年のワインだよ」と持ってきたので、みんなでその場で飲むことにした。コルク栓の開け方を父親に教えてもらい、ポン、と空気音とともに抜けばマスカットが酸っぱくなったような香りが鼻をくすぐる。ちょろっと薄く舐めるように口に含むと、キュッとした酸味があって、でもどこか果物らしい味もして、思っていたよりも飲みやすいものだった。
どう? と訊いてくる父親の顔はアルコールですっかり赤らんでいた。あら、アンタも結構赤くなるのね、と微笑んだ母親の顔も赤かったけれど、ほんのりといった具合だ。爆豪自身、顔立ちは母親似だと(渋々)自覚しているけれど、ほんの数口飲んだだけですぐに赤くなるところは父親譲りなのかもしれない。
「アンタとお酒が飲める日が来るなんてねぇ」
母親がグラスを揺らしながら、リビングの出窓の方を眺めて言う。そこにはいくつもの写真立てが並んでいる。そのどれらにも、爆豪が中心にいた。保育器に入ったしわくちゃな赤ん坊から、かけっこで一等を取った時の得意げな顔、いつかの誕生日、七五三、入学式や遠足、運動会──中学生になったあたりから枚数はうんと減っているけれど、親元を離れて暮らすようになった雄英生以降は、新聞の切り抜きなんかが代わりに増えている。写真だけではない。何か折り紙と段ボールで作られた粗末なメダルのようなものも、額縁に丁寧に挟まれて飾られている。あれは確か幼稚園で、父の日だか母の日だかに作ったものだ。
「二十年なんてあっという間だったね」
出窓に並ぶ二十年のうちのどこかの瞬間を四角く縁取ってきた父親が、感慨深げに呟いた。
二十年。あっという間、とまとめてしまうには長い時間だ。爆豪のここまでの、一生分である。
写真立ての数が爆豪のすべてではない。押入れには分厚いアルバムが何冊もあることを知っている。爆豪自身、この二十年にいい思い出ばかりが思い当たるわけではないし、両親には肝の冷える思いもたくさんさせてきた。その時点にいたときはみな、出来事の渦中に飲まれそうになりながらも必死に耐えてきた。
それに絶対、写真に切り抜くことができなかった瞬間もあるはずで、むしろそれが大半だろう。けれども両親の中ではどれも等しく、二十年分の記憶として並べられている。自分の一生分、両親の人生のほとんど半分。アルバムにすればどのくらいの厚さになるのか、想像もつかない。けれどもそれを両親たちは振り返って、あっという間だと言う。
揃って出窓のほうへ顔を向けていた両親が、再び食卓を挟んで向かい合う。何を考えているのか、何を思っているのか、二十年のうちの一体どれを思い浮かべているのか。ねぇ? と同じタイミングで相槌を打っている。それから一つになった視線が爆豪に集まると、途端になんだか据わりが悪くなった気がして、爆豪は誤魔化すようにしてワイングラスに口を寄せた。